小澤公平我が人生に悔いなし

父母の足跡をたどる

Posts Tagged ‘ムーランルージュ

母の言葉

leave a comment »

写真は、母が18歳の時です。

18才2

愛情は 小さな 小さなつぶなんです

風に吹かれて 人の心に入ります

小さなつぶは 暖かく やさしく

人の心に 花を咲かせて

大きく揺れて 愛を育てます

愛は やさしい顔を作ります

頬笑みは 人から人へと

ゆらゆらと 愛の花を 伝えます

弥生

平成6年2月9日

広告

Written by 小澤公平

2013年2月9日 at 11:58 PM

カテゴリー: 市川弥生

Tagged with ,

母弥生、父を偲ぶ詩

leave a comment »

母は、昭和41年に亡くなった父をこよなく愛していました。父を偲ぶ俳句です。

父母37花ぼたん 散りて悲しき 妻一人

(葬式の日に新国劇から送られた立派なぼたんの花輪・・・不二夫逝く、昭和四十一年五月十五日)

日暮れ前 柿若葉見つ 十三年

(いつの間にか不二夫さんの十三回忌になってしまった。柿の若葉がゆれて、きれいな緑色をしている・・・・・昭和五十四年五月十五日)

菜の花や 振り返れば 蝶がまふ      一っぺい湖にて

1987年4月・・・弥生

(有美ちゃん夢生夫婦と散歩に出て、やっぱり私は一人、蝶までが双つ追いつ追われつ舞っている。伊豆にて)

 

とき色の つつじを持ちて 墓まいり

死神が たったら枕 変えてよと 唇ふるえ 寂しまなざし

病みほうけ 気の弱くなりし 彼の人の うなじをそりて 涙落とさぬ

花は咲き 鳥は歌いし 五月なり 彼の人ゆきて 二十余年も

人の世の 悲しき掟(さだめ) 知りながら 命日めぐる 墓地の夕暮れ

以上は1988年 5月15日に記したものです。

 

Written by 小澤公平

2013年1月4日 at 5:49 PM

人はいつも

leave a comment »

母は、いつも子供たちのことを想っていてくれました。9月8日、有美の誕生日に贈った詩です。写真は小澤家の菩提寺、父と母と有美と私です。

人はいつも  いろいろのことを考える

それが良いことになるのか

悪いことになるのか

一寸、先のことはまったく わからないのに

いろいろのことを考える

人はいつも  いろいろのことをなやむ

過ぎて行ってしまったことでも

あの時 ああすれば  こうすれば  よかったのに

振り返ったって仕方のないのに  いろいろのことをなやむ

 

人はいつも  いろいろの夢を追う

ある時は  女王になって  馬車にのることも

人魚になっておよぐことも  ゆめは涯てしなく

明日のことを ゆめみる

 

人はいつも 安住の地をもとめて

さまよいあるく羊のように  なにもかも捨てたっていい

なるようにしかならない  ぼろぼろになった心を

自分でそっと なぐさめる

 

人はいつか 最後の時が来るのに

悲しんでばかりいてはいけない

希望と云うすばらしい マキを  どんどん心に燃やして

今日も一日 陽のあたる場所をさがそう

生きがいのある人生を

みんなではげまし合って

たのしく見つめよう

九月八日     弥生

有美ちゃんの誕生日によせて

1975年9月8日

Written by 小澤公平

2012年11月29日 at 11:23 PM

母の旅立ち

with 2 comments

市川弥生、これが母の芸名です

平成20年5月5日、母、弥生が86歳の生涯に幕を下ろしました。 名曲、「リンゴ追分」そして、昭和演劇史を飾った、劇作「おもかげ」他、多数の作品を亡き父、小澤不二夫が書き残せたのは、母、弥生の強力なバックアップがあったからこそ実現出来たのです。

お岩木山のてっぺんを綿みてえな白い雲が ぽっかりぽっかり流れてゆき 桃の花が咲き 桜が咲き そっから早咲きの リンゴの花っこが咲くころは おら達の一番楽しい季節だなやー だどもじっぱり無情の雨コさ降って 白い花びらを散らす頃 おらあ あの頃 東京さで死んだ お母ちゃんのことを思い出して・・・

「お母さん、今、リンゴの故郷、青森では、リンゴの白い花びらが満開に咲き誇っていますよ」おら達の一番楽しい季節に、父も(昭和41年5月死亡)そして今、母も旅立ちました。     リンゴの花びらが 風に散ったよな・・・・

母は大正11年3月に八王子の二見屋という大きな旅館(後に蚕業の豪商)の四男三女の末娘として生まれ、15歳で女優を目指し家の反対を振り切って日劇ダンシングチームに入団、芝居をやりたくて16歳で新宿のムーランルージュに移籍、そこで、作家で演出家の父と運命的出逢いがあり、二十歳の時に女優の夢を絶って父と結婚、昭和18年に長男公平、同25年に長女有美、同33年に次男夢生が誕生。この間に、世の中は戦争、敗戦、戦後の復興という大激動時代に突入する中、空前絶後のヒット作となった劇作「肉体の門」上演、昭和大衆演劇に残った純愛ロマンの傑作、劇作「おもかげ」上演。昭和27年には15歳の美空ひばりさんを主役にした連続放送劇、ラジオ人気投票第一位のラジオドラマ「リンゴ園の少女」の脚本を執筆と、たて続きにヒット作を連発。名曲「リンゴ追分」は父が作詩して、このドラマで誕生しました。余談になりますが、日本中を熱狂させた不朽の名作「君の名は」(NHK放送)は「リンゴ園の少女」(ラジオ東京、現在のTBSラジオ)の丁度裏番組(同日、同時間放送)で、「リンゴ園の少女」を放送していた1年半は足元にも及びませんでした。その後、父は、サザエさん、風雲黒潮丸、奥様はバラの刺・・・等々、ラジオ、テレビ、演劇等の売れっ子作家で大活躍、勿論この活躍は母との二人三脚があったから出来たことなのです。・・・しかし、華々しく幸福な日々はあっという間に過ぎ去り、昭和41年に父が死に家族は天国から地獄の辛酸を嘗める日々が続きました・・・・そして43年間、母は女手一つで三人の子供を育み、深い愛情で守り続けて、86歳の旅立ちとなってしまいました。父と出逢ったために、二十歳で女優の夢を絶った母が今こそ全てのしがらみから開放されて、果たすことの出来なかった女優の夢に向かって旅立ちます。どうぞ皆様、女優への最大のはなむけ、母を絶大なる拍手で送ってあげて下さい。どうぞ、お願いします・・・母に絶大なる拍手を・・・

平成20年5月12日

喪主 小澤公平

Written by 小澤公平

2012年11月27日 at 12:03 PM