小澤公平我が人生に悔いなし

父母の足跡をたどる

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人よやさしい愛の種を散こう

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母はいつも、本当に悲しい時は涙は出ないよ、これが口癖でした。写真は、ムーラン時代、自殺娘というタイトルで撮ったと話してくれた、写真です。

母09自殺する女

人よやさしい愛の種を散こう

 

人は美しいものをもとめながら

醜い心をもっている

偉い人はにこやかに(怒りをかくし)

正直な人は怒りをあらわす

力のある人は弱い者いじめ

弱い者は弱さに甘える

誰もが自分の心をかくし

何かうまいことを云う

犬がしっぽを振るように

 

人はいつも豊かなものをもとめながら

貧しい心で暮らしている

有りあまる人は物をかくし

ない人は有る振りをする

利巧者はそっと懐をこやし

馬鹿な人は一生懸命働く、ただ!

誰もが自分をそっとなぐさめ

おかしくもないのに笑う

小鳥が歌うさえずりのように

 

人が本当の悲しみを知った時

心は静かに頭は刃物のよう

空がどんなに澄んでいても

サルビヤが咲きみだれていても

戸びらを開くことは出来ない

富める者も貧しい人も

その時、嘘のない世界を知る

炎と燃ゆるカマドの中で

 

人よやさしい愛の種を散こう

生あるうちに

明るい陽の中で

楽しさいっぱいに

幼い子供のように

 

弥生

昭和53年12月27日書く

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Written by 小澤公平

2012年12月5日 at 12:05 PM

カテゴリー: 市川弥生

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弥生の一言(1)

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母はよく一言をチラシの裏に書いた。そして、壁に貼ったりした・・・写真はムーラン時代18歳

母01a

言葉は気をつけよう

一言が敵を作り

一言が味方を作る

いつも人を愛する心を

大切に育てよう

花のようにきれいに

弥生

 

1988年12月9日

Written by 小澤公平

2012年12月2日 at 9:37 PM

カテゴリー: 市川弥生

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人はいつも

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母は、いつも子供たちのことを想っていてくれました。9月8日、有美の誕生日に贈った詩です。写真は小澤家の菩提寺、父と母と有美と私です。

人はいつも  いろいろのことを考える

それが良いことになるのか

悪いことになるのか

一寸、先のことはまったく わからないのに

いろいろのことを考える

人はいつも  いろいろのことをなやむ

過ぎて行ってしまったことでも

あの時 ああすれば  こうすれば  よかったのに

振り返ったって仕方のないのに  いろいろのことをなやむ

 

人はいつも  いろいろの夢を追う

ある時は  女王になって  馬車にのることも

人魚になっておよぐことも  ゆめは涯てしなく

明日のことを ゆめみる

 

人はいつも 安住の地をもとめて

さまよいあるく羊のように  なにもかも捨てたっていい

なるようにしかならない  ぼろぼろになった心を

自分でそっと なぐさめる

 

人はいつか 最後の時が来るのに

悲しんでばかりいてはいけない

希望と云うすばらしい マキを  どんどん心に燃やして

今日も一日 陽のあたる場所をさがそう

生きがいのある人生を

みんなではげまし合って

たのしく見つめよう

九月八日     弥生

有美ちゃんの誕生日によせて

1975年9月8日

Written by 小澤公平

2012年11月29日 at 11:23 PM

母が書いた俳句1

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母は俳句や短歌が好きでした。私が誕生して間もなく父に召集令が来ました。写真は父と母とおじちゃんと私です。

冬の街 戦車通りて 背子が泣き

昭和18年12月末、公平をおんぶして巣鴨の街でゴウォー・ゴウォーと戦車が走っている。

春浅く 召集令に 胸を折つ

召集令 唇ふるえ 早春詩

浅き春 召集令に 胸を折つ

昭和19年3月7日 巣鴨の家に召集令不二夫に来る。

一枚の お召の紙に 白き 息

昭和19年3月7日 食糧不足で一人隠れて白米を食べようと箸を持ったら召集令が来た。唇が青くなった、巣鴨の家で、神様に叱られたと思った。

西陽さす 影のように立つ 人の手に 白き令状 ふるえ頂く

昭和19年3月7日午後 不二夫に召集令来る。

以上は、私が生まれて5ヶ月後、父に召集令が来た日を詠んだ母の詩です。

Written by 小澤公平

2012年11月28日 at 3:53 PM

カテゴリー: Uncategorized, 市川弥生

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母の旅立ち

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市川弥生、これが母の芸名です

平成20年5月5日、母、弥生が86歳の生涯に幕を下ろしました。 名曲、「リンゴ追分」そして、昭和演劇史を飾った、劇作「おもかげ」他、多数の作品を亡き父、小澤不二夫が書き残せたのは、母、弥生の強力なバックアップがあったからこそ実現出来たのです。

お岩木山のてっぺんを綿みてえな白い雲が ぽっかりぽっかり流れてゆき 桃の花が咲き 桜が咲き そっから早咲きの リンゴの花っこが咲くころは おら達の一番楽しい季節だなやー だどもじっぱり無情の雨コさ降って 白い花びらを散らす頃 おらあ あの頃 東京さで死んだ お母ちゃんのことを思い出して・・・

「お母さん、今、リンゴの故郷、青森では、リンゴの白い花びらが満開に咲き誇っていますよ」おら達の一番楽しい季節に、父も(昭和41年5月死亡)そして今、母も旅立ちました。     リンゴの花びらが 風に散ったよな・・・・

母は大正11年3月に八王子の二見屋という大きな旅館(後に蚕業の豪商)の四男三女の末娘として生まれ、15歳で女優を目指し家の反対を振り切って日劇ダンシングチームに入団、芝居をやりたくて16歳で新宿のムーランルージュに移籍、そこで、作家で演出家の父と運命的出逢いがあり、二十歳の時に女優の夢を絶って父と結婚、昭和18年に長男公平、同25年に長女有美、同33年に次男夢生が誕生。この間に、世の中は戦争、敗戦、戦後の復興という大激動時代に突入する中、空前絶後のヒット作となった劇作「肉体の門」上演、昭和大衆演劇に残った純愛ロマンの傑作、劇作「おもかげ」上演。昭和27年には15歳の美空ひばりさんを主役にした連続放送劇、ラジオ人気投票第一位のラジオドラマ「リンゴ園の少女」の脚本を執筆と、たて続きにヒット作を連発。名曲「リンゴ追分」は父が作詩して、このドラマで誕生しました。余談になりますが、日本中を熱狂させた不朽の名作「君の名は」(NHK放送)は「リンゴ園の少女」(ラジオ東京、現在のTBSラジオ)の丁度裏番組(同日、同時間放送)で、「リンゴ園の少女」を放送していた1年半は足元にも及びませんでした。その後、父は、サザエさん、風雲黒潮丸、奥様はバラの刺・・・等々、ラジオ、テレビ、演劇等の売れっ子作家で大活躍、勿論この活躍は母との二人三脚があったから出来たことなのです。・・・しかし、華々しく幸福な日々はあっという間に過ぎ去り、昭和41年に父が死に家族は天国から地獄の辛酸を嘗める日々が続きました・・・・そして43年間、母は女手一つで三人の子供を育み、深い愛情で守り続けて、86歳の旅立ちとなってしまいました。父と出逢ったために、二十歳で女優の夢を絶った母が今こそ全てのしがらみから開放されて、果たすことの出来なかった女優の夢に向かって旅立ちます。どうぞ皆様、女優への最大のはなむけ、母を絶大なる拍手で送ってあげて下さい。どうぞ、お願いします・・・母に絶大なる拍手を・・・

平成20年5月12日

喪主 小澤公平

Written by 小澤公平

2012年11月27日 at 12:03 PM

市川弥生

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                           母の足跡

   母が、生きてきた足跡を息子の公平がお話します

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Written by 小澤公平

2012年11月27日 at 7:59 AM

カテゴリー: 市川弥生

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